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神様がプロデュース【神の島から来た少女達】

 忘れた頃に復活。不人気シリーズがまた来ましたよ。
 というか、前振りがあってから、どんだけ間が空くんだって話ですよ。
 日本のアイドルという存在は一体何なのか。という面倒くさい話を、僕の目から見た記憶と印象だけで、ざっくり語ってしまうシリーズ。
 興味のある方だけ、お読み下さいませ。

 1996年 8月。
 SPEEDという少女グループがデビューしました。
 アクターズスクール沖縄出身の、安室奈美恵やMAXの妹分として、テレビの世界で知名度を上げ、満を持してデビュー……まるで○○ニーズ●●ニアが新ユニットでメジャーデビュー、みたいな、絵に描いたような売出し劇。

 僕が彼女たちを初めて見たのは、「THE夜もヒッパレ」でした。
 デビューシングルをリリースするかなり前から、MAXのバーターとしてひな壇に座り、歌い踊り、元気に活躍していました。
 何よりも驚いたのは、彼女らの若さ、というか幼さです。
 メインの二人が、小学生って。
 で、あの歌とダンスのクオリティですよ。あり得ない。
 普通は、どっちかですよ。若くて実力はイマイチか、実力があって少し年上か。
 当時のアイドルの常識としてはね。
 そのどちらの要素も、極端に振り切った感のある4人に、少なからず注目しました。
 でも、しばらく見ている内に、なんでしよう、「痛々しさ」みたいなものを感じてきたのでした。

 何だか張り切り過ぎている。頑張り過ぎている。
 大人たちに追い込まれている。
 そんな変な印象を持ってしまったのです。
 そう、彼女らは「楽しんでない」。そう思えて仕方なかったのでした。
 後日、関係者からもそんな言葉が出てきました。
 「SPEEDは可哀想なくらい頑張ってた」と。
 多分、上京してすぐ、寮で共同生活をしながら、プライムタイムの番組にバーターで出て、プレッシャーに後押しされながら、未だ本格的に歌手としてデビュー出来てない。
 そんな状況で、余裕があったら、嘘ですよね。
 
 大事なことを言い忘れてました。彼女らはまだ、名前もない存在だったんでした。
 「ヒッパレ」内で、デビューを控えて、名前を決めましょうと。視聴者から募集しましょうと、そういう企画になって、「SPEED」に決まったんです。
 その募集企画ってほんとかな、とか言わないように。野暮は言わずにお願いしますね。
 名前が決まって、デビュー曲を歌っている姿を見て、僕は初めて落ち着かない気分から解放されたのでした。
 何だか不自然っていうか、ツッコミたいけどツッコんじゃいけないみたいな、変な空気が、番組内でも漂っていましたから。

 そのツッコミとは、「で、アンタ達、誰?」っていうものです。
 ファンでもなんでもない一般視聴者なんて、何の思い入れも無いですから、
そんな無情なツッコミ視線が注がれてしまうんですね。
 (もちろん、我がPerfumeも、同じ視線に晒されています。今も)
 だってさ、安室奈美恵とスーパーモンキーズのブレイクは、沖縄から出てきた時には鳴り物入りだったにも関わらず、意外と厳しくて、時間掛かっちゃってて、この「ヒッパレ」の時点でも、微妙な感じだったんだよね。
 しかも、安室ちゃんのソロ活動、MAXの結成と、「あれあれ?」的成り行きもあったりして。
 そこを何となくやり過ごすスタジオの空気の中、MAXはステージセットの上で、精一杯頑張ってた。
 そこへ、いわば特待生の飛び級的に、メンバー二人はまだ小学生! という話題を引っさげて、SPEEDが登場。番組にグループ名も付けてもらって、めっちゃオイシイ立場で、一身に注目を浴びる……。
 見てる僕はつい、「MAX」の立場は? と思わずにいられなかった。

 とはいえ、彼女らに罪は無く、そんな視線を跳ね返す程に、SPEEDは頑張っていたんですね。
 デビュー曲は「BODY&SOUL」。おまペロよりも露骨なダブルミーニングで、はっきり言いましょう、ローティーンの女の子に、性体験を歌わせている……むしろ勧めているくらいの詞でした。
 楽曲的にはChicの「おしゃれフリーク」を引用した、ファンク志向のダンスナンバーであり、安室奈美恵(当時)、MAXのユーロビートとは一線を画したものであった。
 変な話だけど、番組のハウスバンド「ビジーフォー」の、特にグッチ裕三の世代にはタマラナイサウンドであり、この曲を番組で歌うときの現場の盛り上がりは、何だか可笑しい程だった。
 とにかくダンスは本格的だし、歌はhiroのハイトーンとellyのしっとりした声の表現の幅が素晴らしかった。

 それからのブレイク物語、突然の解散劇については、改めて言うまでもない。
 大人の事情が彼女達を取り巻き、4大ドームツアーを経てモンスターグループになった裏には、安室奈美恵の結婚休業、小室サウンドに飽き足りない層の取り込み、そして事務所の経済的困窮による「売り急ぎ」があったらしいことは、なんとなく僕も耳にしていた。

 しかし、実際SPEEDに熱狂していたのは、僕らのようなヒネた大人ではなく、SPEEDと同世代の少女達だった。
 ここが一番大事なところなんだと思う。
 つまり、彼女達にとって、SPEEDというスーパーアイドルは、ただの芸能人、可愛いアイドルではなく「同世代の英雄」的な存在だったんじゃないだろうか。
 ここに来て、ついに「アイドルという言葉の意味の復権」が行われたのだ、と僕は思いたい。
 手の届かない才能と実力を持ち、優れたパフォーマンスを行う側面と、
 同世代ならではの親近感と、何だか都会になじみきってない沖縄から来た少女(エキゾティックなイメージも含めて)である側面を、
 ファンの少女たちは愛してやまなかった。
 それこそが「アイドル」だ……と言いたいところだが、ただ、同世代の男の子達にとってはどうなんだろうね。
 SPEEDをアイドルとして見ていたんだろうか。
 その前に、80年代のアイドルブームや、おニャン子ブームを経て、すっかりアイドル観は変貌し、
「そういうんじゃないんだよな」
 と思っていたんじゃないか。
 Disるわけではないが、アイドルファンと呼ばれる男の子達が「弱く」なってしまい、ちょっとでも自分より優れてたり、ませてたりすると、怯えてしまい、ロリっぽい娘や妹的な娘、天然な娘がもてはやされる風潮があったように思う。
 ていうか男子たちは、アイドル好きとそうでもない一般男子に分かれ始めていた時代で、一般男子はそろそろグラビアアイドルとか、そうだ、AVに夢中だったな、そういう感じになっていた。
 おたく、という言葉が一般化しており、カメラを持って中学生や高校生のアイドルタレントを追いかけるヒト、というイメージだった。

 そんな中、SPEEDのファンの男の子達は、自分がアイドルのファンだとは思ってなかったろうと思える。
 「だって歌が良いし」「ダンス上手いし」「頑張ってるし」「かっこいいじゃん」
 そんな言い訳をつぶやきながら。

 しかし、もっともっと前の世代から、順を追って見ている目からすれば、アイドル観が狭まり過ぎて、「コウアルベキ」みたいに固まり過ぎちゃってるなあ、と思ってしまう。
 もっと自由で良いのに、と。
 だって、ファンが憧れと強烈な愛情を注ぐ相手、その人の人格そのものを愛してすべてを受け入れてしまう存在、それが本来の意味での「アイドル」なんだし。
 つまり、ファンがどういう気持ちで見ているか、がアイドルかどうかを決めるもんでしょ。
 それこそ、徳光さんにとっての「アイドル」が長嶋茂雄であり、明石家さんまにとっての「アイドル」がマイケル・ジョーダンであったように。

 だから、SPEEDみたいな存在も、僕は十分にアイドルだな、と思ってたし、男の子が憧れてもそれは当然なはずだった。

 不可解な解散劇も含めて謎の多いグループだったSPEED。
 今になっても「訊いちゃいけない事」が多そうなSPEED.
しかし、全国の小学生は無邪気に憧れ、歌やダンスに自信のある娘は芸能スクールへ駆け込んだのである。
 広島の二人の女の子もそんな風に、アクターズスクール広島へ入学したのであった。
 西脇綾香。
 大本彩乃。
 のちに「Perfume」になる二人である。
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髭熊船長

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