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- 2011/02/28/Mon 17:57
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- Perfume / S・Stories
青少年勤労センターという施設がある。働く若者の、コミュニケーションやスポーツ、サークル活動などを支援する公的施設である。
浩司はその施設の二階の会議室で、重苦しい空気の中ミーティングに顔を出していた。
彼の所属する、高校生が中心になったアマチュア劇団で、ちょっとした問題が起こったのだ。
ホワイトボード前の会議用テーブルで、泣かないはずのあの娘が泣いていた。
その劇団は、地元の各校演劇部の有志たちが、学校の課外活動という枠を超えて、自由に芝居がやりたいとの思いで立ち上げたものだった。
何かと規制があったり、コンクールに参加させられたりで、本当にやりたいことができない、と彼らは考えた。
だが、実際に一から全部自分たちの手で立ち上げ、運営してみると、何一つすんなりとはいかないのだった。大人たちの助けがあってこそ出来ていたことが、いかに多かったか思い知らされたのである。
彼も、役者の真似事をしていただけで、まず練習場所をどこにするか、どうやって集まるかなどという仕事については、大して役に立たなかった。
劇団には高校生ながらカリスマ的なリーダーがいて、彼の人望で(特に女の子が)集まったようなものだった。だが当のリーダー氏も、実務的なことはいささか苦手なようであった。
そんな時。
ご多分にもれずリーダー氏に憧れて入ってきた、ある女子高生が、極めて実務に有能であることが分かったのだった。
聖美という名のその女子高生は、精神的にタフで、明るく、どんな大人とも対等に渡り合った。
まず、プロ劇団に見学に行った聖美は、自分の仕事が「制作」と呼ばれるものであることを知った。
それから、練習場所として青少年勤労センターを見つけてきた。そこは、18歳以上で独身の勤労青年が団体登録すれば、夕方からでも無料で使えるのだった。
聖美はすぐさま自分の兄を連れていって、名目上の主催者とし、劇団の登録に成功した。
お兄さんは無論、一度も練習には来なかった。
聖美は怪訝な眼を向けるセンターのスタッフに、平気な顔で、ニコニコと挨拶した。
劇団の中で小競り合いや諍いがあっても、へっちゃらだった。彼女の手にかかれば何事も解決し、でなければ一喝されて終りになった。
リーダー氏はもちろん、劇団員たちは彼女の迫力と実力に感服した。
何かのドラマのセリフではないが、制作というのは「劇団のお母さん」みたいなものなのだった。
彼女は、日々の肉体訓練と発声練習の合間を縫って、劇団としての枠組みを着々と作り上げていった。まるで鋼……いや、特殊なファインセラミックスで出来ているかのようにタフであった。
やがて、脚本が会議で決まると、躊躇なく出版社経由で劇作家に手紙を書き、上演許可を求めた。
噂によると、電話をかけてきた劇作家と堂々渡り合い、脚本使用料を無料にしてもらったらしい。
さっそくミーティングを開いて、劇団内の役割分担を明確にした。
「で、私はこの『制作』という仕事をします。えっと、手伝いに由紀ちゃんと圭介くん、お願いします。今日、渡しはこの本を持って帰って、家のお父さんの事務所でコピーします。明後日の練習日までに人数分製本しますので二人は私んちで手伝ってください」
「はい」
「よろしくな」リーダー氏がにっこりしながら、聖美に片手拝みした。
で、このミーティングになったんだ、と彼は物思いから覚めた。
リーダー氏はいい奴だし、劇団と関係なく以前からの友人でもある。ただ、こういう時はあまり頼りにならなかった。
実は聖美のお父さんというのが、弁護士だったらしい。おまけに、市の青少年育成ナンチャラ委員会みたいなところの理事をしていたらしい。
弁護士事務所で娘が脚本をコピーしているところへやって来て、何の気なしに脚本を手にとったのだそうだ。その脚本にはいわゆる「性描写」めいた部分があった。
で、その弁護士先生は、娘を連れてこの青少年センターへと乗り込んできた、というわけだった。
「私は劇団活動自体は素晴らしいと思います。ただ、この箇所だけは削除すべきと思う。ほとんどの方は未成年なんですから、問題になってからでは遅いと思うんです」
とか何とか言って、去っていった。後は俺達の良識に任せる、というわけだ。
ヘドが出る。ああいう言い草には。
浩司が立ち上がって、発言した。
「俺らはそもそもああいうのが嫌で劇団作ったんだよな、確か。別に関係ねーじゃん。やっちゃえばいいんだ」
団員の大多数が頷いた。
「いや、でもそこまで大事なシーンでもないし、未成年のメンバー、特に高校一、二年の子らは、やっぱ学校とトラブったらまずいって。俺そんな芝居の事とか分かんねーけど、そんな大げさに考えることでもなくね?」こう言ったのは、大道具の聡だ。この意見に、みんなが不安そうな顔になった。
浩司はヤバイ、と思った。この空気、何となく妥協するとき特有の曖昧な自己正当化の空気だ。
負けだな、と浩司は思った。あのおっさんより、こいつらに負けた。浩司は身体が震え始めた。人は真剣に怒ると、ほんとうに体が震えるのだな。ちらっとそう思った。
聖美は、ずっと顔を伏せたまま、耳を真っ赤に染めて泣いていた。
リーダー氏が、すまん、という顔を浩司に向けて、ゆっくり立ち上がった。
帰り道、浩司の後から、聖美が追ってきた。
「浩司くん、ごめんね、ごめんね」そう言い募った。
「いや、別にあんたのせいじゃないって。……あのヘタレ共に腹立ててんだ。あんたのお父さんのさ、立場に立ってみれば無理ないしな」
「うん、ごめん」
「まあ、あのシーン、カットするならする、変えるなら変えるでさ、また手紙書かないとな」
「あ、そうだね、うん」
沈黙。
「余計なこと言っていい?」おもむろに浩司が言った。
「なに?」
「あいつに好きなら好きって言いなよ。早くしないとライバル多いよ」
「もう! ほんとに余計だよ!」そう言って、浩司の背中をバーンと叩いた。
他の女子のグループに加わった彼女を見ながら、浩司はさっきのことを思い出していた。
力いっぱい、全力で涙を止めようとしていたあの顔。
あのリーダーのヤツの前では、出来るなら絶対あんなトラブルを持ち込みたくなかったし、泣き顔を見せたくもなかったに違いない。
しかし、その自尊心の支えを失ったとき、彼女の心は陶磁器のように壊れたのだった。
子供のような顔で、手放しで泣いていた。
やべ。……浩司は思った。ため息をついて、駅への道を急いだ。心のなかでつぶやきながら。
やべーよなー。まいったな。どうしよう。やべーなー……。
満月が彼の影を、冷たい歩道に落としていた。