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満開の桜



 このことについては、以前にも書いたのだが、改めて書く。

 自殺は、殺人である。

 日本人には、独特の美学があり、自らの命を断つ行為を美しいと捉えたがる側面がナキニシモアラズである。
 しかし、やはり死は醜く、間抜けで、臭いものなのだ。それを忘れてはならない。

 なぜこんなことを書くかというと、もうすぐ春だからだ。
 人は、なぜか春に死にたがる。

 坂口安吾だったか、「桜の森の満開の下」なんていう作品もあったっけ。

 春の憂鬱は、秋の感傷よりも根が深く、恐ろしいと知るべきである。春の日差しの下の孤独ほど、辛いものはない。

 だからこそ、僕は死の醜悪さを言うのだ。

 マスコミなどで、自殺が報じられると、釣られて死ぬバカが増える。
 無理心中までやらかす大馬鹿もいる。

 しかし、たとえ自分であっても、勝手に人を殺せば、それは殺人だ。

 告白すれば、病気がひどい時、僕には希死念慮が出ていた。死ぬことを望み、考えることだ。
 だが、それは誰かに考えを吹きこまれたように、不自然なまでに強烈すぎて、かえって僕はその声に従わなかった。
 いつか話す折もあるかも知れない。僕は何度か死にかけているのだ。
 だから、普段なら、自殺など思いもよらない。
 なのに、そんな僕におかしな考えを植えつけようとするのは、きっと病気の野郎に違いないと思い、僕は病院へ行くことにしたのだった。


 今は、どうにか「生還」したような気がしている。精神的、経済的に満身創痍でも、なんとか。

 だから、この文を読んだあなたがいつか、消えたい、終わらせたいと考えてしまったとき、思い出してほしい。

 どんな死も平等だ。
 死とは、醜く、不快で、汚く、臭い。
 自殺は、間抜けで愚かだ。
 往来で排便するも同じ行為である、と。







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